2006年10月07日

猛き武人の心をもなぐさむるは歌なり

ネットサーフィンをやっていたら大学受験時代にお世話になった代々木ゼミナールの古文の椎名守先生のサイトをみつけた。
懐かしいなぁ。



人生には何人も師匠が現れるらしい。
椎名先生は今思うと私の人格形成や武術観に強く影響を与えてるようだ。

この先生の特徴はいろいろあったがその中で最も印象に残ったのはこの和歌だったりする。

力も入れずして天地を動かし、
目に見えぬ鬼神をも哀れと思はせ、
男女のなかをもやはらげ、
猛き武人の心をもなぐさむるは、歌なり。


結局、古文は『ぱーぷりん』で浪人時代になってかろうじて平均を取れるようになっただけで、受験がを終わると距離をとるようになったが、この和歌だけは頭にこびりついた。
椎名先生独自の世界観は予備校でありながら教育的な面が強いような気がしたが、見事に影響されたなぁ。



もともとこういうのが好きな傾向があったンだろうなぁ。
私の武道・武術はじめは剣道。
強くなりたいとは思ったが、それは肉体的なものだけではなく、昔の剣豪たちにあるような柔らかな物腰の対応と発想、呼吸・間に憧れてはじめたところも大きい。

だから最後に落ち着いた師匠はネゴシュエーターや、厄介な場での仲介人としての経験がある方で流派の体系もよくみると会話をしている前提の立場での護身や制圧の技術や距離のとり方が多く、それが役立ったことが多い。

私自身は喧嘩を売ったり買ったりの経験はないが喧嘩に割って入ったり、暴力を振ってる現場をとめにはいり、まずは話を聞かせろ、というスタンスが多い。
でもコレ、うまくいかないんだよなぁ〜たいてい(苦笑)



言霊の力が信じられていた和歌の時代ですら和歌のへたっぴぃがいたように、私は説得が下手。
そりゃ『猛き武士の心をもなぐさむる』とは大抵いかない。

しょうがないので沢山本音で話をさせて、ストレスを発散させ、疲れさせる方法をいつもとっています。
(暴力を振るっても言葉で思いっきり相手を罵声したり、本音を語っても同じようにいずれかは体力の限界がくるので)



人の世が奇麗事だけですまないのは30手前になれば多少わかってきてるつもりです。
暴力や権力、財力が物をいうことも感じてます。
このようなポリシーで動くスタンスを持ちながらも場合によっては相手を武力をもって制圧したこともあるし、警察という権力を使って抑えたこともあります。

ただ、このような場合はたいていの場合は相手は納得しない場合がほとんどです。本当に納得しては終わらないのです。
武力や権力は強制力に過ぎません。その力は大きく、強引に終わらせることが可能です。
しかし、相手の中ではまだ相手や私を罵倒する気持ちは消えてません。心までは押さえつけることは強制力ではできません。

大抵、喧嘩などを始める場合や、暴力を振るっているときですら当事者は自分は悪くないと思っていますし、彼らなりの理由があります。
だからそこを無視して正論を吐いたり、強制力をもって終わらせても納得しないわけです。
同時に彼らなりの正義や理由があるので話し合えばなんとかなる、となまっちょろいことを本気で信じてるところがあります。

本当に収まるということは相手が納得してくれることだと考えてる私には言葉などが持つ力をもっと信じたいのです。
だから相手を打撃を用いてノックダウンさせたり、間接をとって抑えたりするところまでいったらそれは私の武術にとては負けなのです。
(世間でいう『武勇伝』までいったら少なくともそれは私の武術をはじめた動機や、ありかたにとっては矛盾する。しかし少なからずそれはあった。)



もちろんうまく説得で丸く治めたいのですが難しいです。
だからこそ犯罪や戦争がおきてるわけですし、金やら権力・法律で手打ちになることもあるわけです。
これは無視できない現実ですし、とくに法律の恩恵は大きいと思っています。

それでも笑うことやコミュニケーションの力とかを強く信じてるところもあるのです。
話せばわかる、というのがいつでも通用するとは思っていませんがそういう姿勢でいきたいのです。
心を打つのはやはり心だと考えてます。

私が演劇を見に行ったり、歌を聴きにいったり、踊りに感動したり、あるときにはそれらのレッスンに参加するのは身体操作なども関係あるのですが、私にとっての実戦というものからみてそれらが矛盾したものでないからです。
コミュニケーションという面からいうと演劇は無視できず、相手に感動させる声を届ける歌い手や人々を魅力する踊りは強く惹かれます。
こういうのはテクニックもありますが、大事なのは人間の奥深くから搾り出すものと勝手に捉えていて、私にとっては武技と同じか、それ以上に場合によっては必要なものなのです。



国と国を渡り歩いて交渉人としての実務、時にはトラブルを対処した今の師匠
人間関係に重きをおいた飛龍会・胴体力の伊藤昇先生
弓道から演劇へシフトして竹内レッスンを主催されてる竹内敏晴先生
武道と音楽の経験から日野武道研究所の活動をはじめた日野晃先生
戦争を続ける敵対国同士の門下生を合同稽古させることができる武神館の初見良昭先生

私がこれらの諸先生に強く引かれるのは武の道を経由しながらも高いコミュニケーションをもち、社会に還元している、というところも大きいのです。

奇麗事ではない、武道を通し、そして現場を経験した上でのコミュニケーションということを見据えてる先生方には敬意をいくら払っても終わりがありません。


しかし、なかなかそのような道は私には険しいようで・・・

古き時代の歌の名人のような言霊の力や、剣豪たちが達した生きたコミュニケーション能力がほしいねぇ(^^;


〜おまけ〜
ちなみに竹内先生になぜ竹内レッスンに参加したのかな?演劇やってるの?ときかれて『喧嘩を止める方法を模索して参加しました』といったところ、君のような動機で来た人は始めてだよ、といわれました(笑)

和歌のテキストのピックアップはここだけで、全体としては以下のとおり。
古今和歌集の仮名序にあるらしい。

やまと歌は、人の心を種として、万の言の葉とぞ成れりける。
世中に在る人、事、業、繁きものなれば、心に思ふ事を、見るもの、聞くものに付けて、言ひ出せるなり。
花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか、歌を詠まざりける。
力をも入れずして、天地を動かし、目に見えぬ鬼神をも哀れと思はせ、男女の仲をも和らげ、猛き武人の心をも慰むるは、歌なり。
ニックネーム オシャベリ魔神サマ at 11:55| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記
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Excerpt: 僕はこの人を漫画バキの板垣恵介の本「激闘達人列伝」で知ったんだけど、実際にバキの中では、死刑囚柳の師匠として出てくるマスター国松が、この動画の初見良昭さんをモデルにしている。
Weblog: 衝撃動画倉庫
Tracked: 2007-08-17 14:58