それはおおよそ、いままで経験したことがない奇妙な感覚だった。
小学校の時に、画用紙で小指を切った時に血と共に生気がすぅ・・・と抜けていく感触と言おうか。
さらさらとした粒子の細かな黄金の砂を両手にすくったが、指と指の間からこぼれ落ちていく感触と言おうか。
歩きはじめてすぐ感じたその感覚。
だが、それはそれらに似ていたが、恐ろしく早く侵食されていく。
静かでありながら素晴らしい早さですすんでいく。
失われていく・・・・怖さ。恐怖。
それはは自分が勝負を制する『間を外しつつあること』を知った。
間に合わない。
歩幅にして3歩か5歩か。
どこで間違えたのだろう。
勝負を極めることを可能にする『間』の訪れにわずかに足りないことを悟ってしまった。
急げばいいか?いや、それだと間に合わない。
そう、矛盾してるが急ぐと間に合わない。
駅員を囲む集団が興奮しているとはいえ、走っていくと気がつかれる可能性がある。
なにより沈黙と最小限の接触をもって相手に接するときはこちらの動きは最小限でなければならない。
少しでも余計なことをすると暗示の効果はまったくといって良いほどなくなってしまう。
走っていって成功するやり方もあるかもしれないが、私がやったら利かないという判断をした。
経験からいうと私がこの手の暗示をかけるときはスローなほどいい。
早い動きの緊張や、気持ちを高ぶらせて脳の血管の周りを圧迫してしまうと自分の呼吸がみだれ、かからない。
スローに動くと体感時間が少し延びる。
すると同じ時間でも少しだけ多く動ける。
矛盾しているようだが、その感覚がうまれる。
この日、名古屋にいったのも太極拳を習いったのだ。
目的にその感覚を学ぶのも一つにあった。
ゆっくり動く静寂をキープする限り、人知れず、多く動ける。
急ごうとすると多く動けない時もある。
焦ると足がもつれたり、はしっても徒競走でゴールが遥か遠くにあって中々近づかないのと関係があるかもしれない。
とにかく、私はゆっくり動いて距離を稼ごうとした。
この技術のベテランならば早く動き、多少、気持ちを動かしても筋肉の緊張を起こさず、脳の血管の圧迫をおこさずすむかもしれないが私にはそんなことができない。
いや、メンタルコントロールが上手くできたまま歩調を上げてももう一つ問題がある。
角度もまずい。
一つだけ歩き方を帰れば間に合う角度があるが、そこがまずい。
シャッターを蹴ったオヤジの右肩斜め後方。
ここにならギリギリ達するがこの角度がまずい。
苦手ではない。
むしろ得意だ。
入った瞬間に首を捻る折る技にはいるのが。
もともと師匠がこういう使い方もある、と歩法の使い方でスパイ映画でやるように後方から忍び寄り、見張りの首を捻り折る技をみせてくれたことがあったがそれが目に焼きついてしまったのだ。
まずい。
その角度に入ったらまずい。
いや
脳の緊張を多少起こすが、別の技もないこともない。
それは後方から手首をとり、肘を押さえる技だ。
脇固めや、腕押さえ、1教と呼ばれる類の技ともいえる。
ただ、関節技もその瞬間には適してなかった。
暗示をかけるのには思いっきりかけて一瞬心を飛ばさなければかからない。
よく関節技をかけて『あだだだ!』というのでは心の隙間にはいれない。
一瞬でおわらないし、人々を興奮させてしまう。考えさせてしまう。
入るならば一瞬で折らなければかけられない。
人の骨を折ったことはないが、技術的には充分なはず・・・
・
・
・
・
でも、できないだろう。
ビンタで行こうとおもったのは角度とタイミングさえ合えば、死角をつけば一発で脳震盪を起こすか、そうでなくても精神的混乱が大きくなる。
そして思いっきりやっても後遺症がでにくいからだ。
首を捻ったり、肘を折るすることはこの男性のやっている程度のことではできない。
どうする?
どうする?
・・・・・・・・あせるな。
こぼれ落ちる生気のようなものの残りを確認した。
6割・・・いや、7割近くある。
その場所にたどりつけさえすればまだなんとかなる。
幸い、脳みそへの圧迫は軽く起きただけでまだ通用するレベルだ。
ゆっくり歩け
ゆ っ く り 歩 け
ゆ っ く り あ る け
そう
静寂を保ってゆっくり歩け
急ぐな
焦るな
その場にたどり着けばいい。
それだけでいい。
やれることは全部やった。
その場にたどり着いてなるようになる
放棄するな。
諦めるな。
執着するな。
囚われるな。
ただ、その場に居合わせればいい。
走ろうとする誘惑と頭に血があがろうとするのを必死に押さえ、呼吸をしずめようとし、心を必死におさえながらゆっくり歩きつづた。
いやいや、短い時間の間にいろいろ考えられるものだ。
という考えも抑えようとする。
するとまたゴチャゴチャでてくる。まいったな。
時間ではなく、距離感で感じていた。
間合い感覚で感じていた。
興奮しようとする自分を抑えながら歩くうちに、一緒に横で時間が歩いて行こうとするようにも感じていた。
歩調は同じか、一歩ぐらい時間のほうが早かったとも感じていた。
今、文章にして文字にすると違う気もする。嘘を書いてるような気がする。
まいったな。
しかし、なにかがあったような気がする。
何かを意識したといったほうがいいのか。
それは落ち着かせようとする自分が作り出した基準かもしれない。
コレぐらいのテンポで歩きたいという思いがつくった錯覚かもしれない。
しかし、なにかを意識していた。何かを感じていた。
それは何かが右側といるという感覚でもあり、周りを包む泥や粘っこい空気のようにも感じた。人のようにも感じた。
追い抜きたいが、追い抜いてはいけないような気がした。
歩調、あわせなきゃ。
そう、歩調(?)をあわせよう、とした。
小指から生気が抜けきらないように
両手に救った黄金色の砂のようなものがこぼれきらないようにしながら
歩調(?)をあわせよう、とした。
でも一緒の歩調のはずなのに一緒にあるく時間(?)のほうがちょっと早い。
うん
これは
まいったな。
苦笑しそうになった。
勝負を極めるはずの場所に勝負を極めるべき時間にたどり着けないまま
その時はやってきた。
(『をの巻』に続く)











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